藩主昇進

信親は文政八年藩主となり、奏者番、寺社奉行、大坂城代、京都所司代などをへて嘉永四年、西ノ丸老中に昇進した。藩主の昇進を祝い嘉永五年、三条代官所つき五か組の惣庄屋、年番庄屋などが金品を献上した。嘉永六年九月一五日、信親は西丸老中から本丸勤に転じた。御昇進だというので、一〇月一日から二二日まで祝日となり、二二日後祝儀を差し上げることになった。以後、信親は開港期の難局に、老中の一人として参画していった。とくに、安政五年、井伊直弼が大老になってからも、幕閣にあって、その与党の一人としてみなされていた。このことが功績として認められたのであろう、万延元年、幕府は、老中内藤信親に対し、その労を慰し出精努めた賞として、領分のうち薄地の分一万石を、同高と村替することを達した。すなわち、土地条件の悪い領地を、条件の良い領地に変更されたので、年貢量からいえば、加増に等しいものであった。こうして文久元年、村上藩は、蒲原、三島郡で一万石を上知した。

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