上知村

村上領の上知村は、蒲原郡で一二か村、あわせて高一万三〇石五斗二升九合である。上知村はいったん、出雲崎代官所の当分預所になった。これに対し、江戸表で命ぜられた替地村々は、岩船郡で二一か村、高四五一三石一斗五升四合、蒲原郡で二〇か村、高五五二〇石三斗七升五合、あわせて一万三三石五斗二升九合である。そして翌月、出雲崎代官所から会津藩へ上知五万石の代知としてわたされ、北場村も会津領となった。会津藩は新領を支配するために、始め小松についで福岡に代官所をおいた。しかし北場村の会津領としての時期はすぐ終わる。井伊直弼の暗殺後、政情は急変し、老中首席安藤信行はじめ、従前からの老中はあいついで罷免されていく。内藤信親も文久二年五月二六日、老中を罷免され、溜間詰となった。七月には一橋慶喜が将軍後見職となり、幕府改革が始る。同年一一月二〇日、彦根藩主井伊直憲はじめ、旧井伊派老中であった大名が、その失政をとがめられ、減地、蟄居、隠居などの一斉処分を受けた。内藤信親も村替したばかりの一万石が、旧地戻しとなった。

上知村