政権を返還したとはいっても、慶喜は新政権下で権力維持を計っていたし、諸藩の中にもこれにくみする者、徳川氏への政権委任をとく者などがあり、政局は混沌としていた。慶応四年、鳥羽伏見の戦争が起り旧幕府軍は敗北し、慶喜は江戸に逃れた。この戦争が、大政奉還後の混沌とした政局を一変させ、新政府の基盤を固めることになった。鳥羽伏見の戦争に勝利した新政府は、東海道、東山道、北陸道に公家を鎮撫使として派遣し、徳川慶喜および反政府的諸藩の追討にのりだした。北陸道に派遣されたのは、総督高倉と副総督四条である。高倉と四条は出発に先立ち王政復古となったからには、王事に勤めるのが当然だが、まだ騒擾が続いており、人心は疑惑にみち方向が定まらない。各自の在意をたずねるために出発する。しかし、積雪の時期なので途中てまどるかもしれない。とりあえず書面を送るので、誓書をただすようにという勅書を、北陸道七ヶ国の諸藩にあてて発送した。この勅書は諸藩に回送されて、最北の村上藩までいき、そこから返送された。