誓 書

勅書に対し、諸藩はいずれも、勤王に勤めるという誓書を提出するのであるが、越後諸藩では、ほとんどの藩が三月に入ってから、提出している。新発田藩が、この勅書を受け取ったのは、二月一五日である。誓書は三月九日、越中国高岡において、総督あてに提出した。また江戸にあった藩主直正は、鎮撫使の出発にそなえるためと、領内の取り締まりのため、二二日江戸を出発して帰国の途についた。また、新政府の要請に応じて、この日から二七日にかけ、江戸と本国からも藩兵も上京させた。藩主についで、前藩主も三月八日江戸を出発し、二二日には新発田に帰城した。村上藩は二月一八日、勅書を黒川藩から受け取った。藩主が不在のまま、重臣の近藤幸治郎と脇田蔵人の名前で、三月四日づけで誓書を提出した。副総督四条隆平の行動記録である北征紀事には、同日の記事に内藤紀伊守の在東京の重臣がかわって誓書を提出した、とある。この日には総督一行は、加賀国金沢に滞在中であった。これによれば、江戸にあった近藤と脇田が金沢に赴いたことになる。しかし、四条のこの記録はのちに編修されたものであり、提出の経緯ははっきりとしない。越後一一藩のうち、家臣名で提出したのは、村上藩と三日市藩だけであった。

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