越後では、会津藩主導による諸藩連合の動きがあった。すでに前年の慶応三年九月一八日、新潟町に会津、長岡、新発田、村上、村松、高田、桑名、沼津、上ノ山、三根山、糸魚川、黒川、三日市、椎名などの諸藩が集まり、浮浪の徒を取り締まる事、毎年五月に会議を開催すること、情報を交換すること、などを申し合わせていた。この申し合わせにより、慶応四年二月二日、会津藩陣屋のある酒屋町で、会津、長岡、村松、新発田、村上藩などが参加する会談がもたれた。ここでは、旧幕府の処置を越後諸藩に一任することを中心に、経費の問題や新潟港、及び外国貿易の管理などが話し合われている。いっぱう、旧幕府においても、一月二九日には、越後の代官所支配地をすべて、会津、米沢、桑名、高田の四藩に、預けることに決定していた。