鎮撫総督

京都を出発した鎮撫総督の一行は、三月一五日に高田に到着し、越後諸藩の重臣を拾集し藩主の上京、領内の高、戸口等の調査、会津藩討伐などを命じた。新発田藩からは家老の溝口半兵衛が、村上藩からは前記の近藤幸治郎が高田に派遣されている。しかし、総督の一行は、鎮撫というには、ほどとおい状態のまま江戸に向かって出発してしまった。情勢の切迫とともに、新発田藩は領内に、さまざまな注意を与えた。二月一日、すでに銃隊や力夫を使役しているので、各組でも不急の普請などはとりやめ、経費の削減に努力するよう命じた。二月九日には、領内の各村では強壮の者を選んで、あらかじめ手順をさだめておき、いざ非常事態のときは、貝、鐘の合図で得物を持って集まり、庄屋、名主、組頭が、これを率いて防ぐ事。継所や他領との境の村では、番小屋を建てておき、怪しい者はとり抑え届ける事。異変の時は取り締まりに当る事。空俵が必要となるから、庄屋、名主宅に貯えておくことなどを命じた。

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