東北北越の諸藩と、薩摩長州を中心とする新政府軍の戦争は、四月、越後口と白河口で始った。越後では四月一九日、高田に集結した越後口の新政府軍が、魚沼方面と刈羽方面に分かれて進撃を始めた。四月二七日、小出島と鯨波で両軍が衝突し、北越戊辰戦争が始った。このような情勢のなか、村上藩の前藩主信思も、信民に遅れて、四月二五日、江戸を出発し帰国の途についた。しかし、すでに戦争が始っていたため、信州岩村田に留まざるおえなかった。岩村田は、村上藩内藤氏の同族の居城があり、村上藩主信民の実家でもあった。このころ奥羽諸藩は、新政府軍の会津、庄内藩討伐の方針に反発を強め、四月二二日には、奥羽二五藩が白石に会合し、奥羽列藩同盟が成立した。同盟では北越方面に対しても米沢藩が中心となって、越後諸藩と協力してこれを追撃する。庄内藩はじめ、出羽の諸藩も応援出兵する。という方針がたてられていた。