列藩同盟軍は長岡奪還に成功した。しかし翌日には新政府軍も海路から太夫浜、松ヶ崎浜に上陸した。まちかねていた新発田藩は、ただちにこれに応答し、戦況は一挙に動き出した。海岸に上陸した新政府軍は、一部は新発田に向かい、一部は阿賀野川右岸に布陣した。翌日川を越えて戦いながら沼垂に進出した。平島村の庄屋がしるした日記によれば、米沢藩人数は新政府軍が上所島、出来島辺まで進んで来たというので、新潟から平島までくりだし、平島村下土手へ台場を二カ所築き建てた。翌日には仙台藩兵糧方が、平島村に命じて米を買い受けるよう命じた。新発田藩曽川村から上所島辺までは、新政府軍がまわり、鉄砲を打ち騒々しくなった。仙台藩士牧野新兵衛隊が新潟から平島村までくりだした。夜半ころ、曽川、俵柳辺で早鐘、貝を吹き鳴らしたので、大野辺まで遠見をさしつかわすよう命ぜられ、小新村から二〇人、平島村詰人足のうちで二人を大野町までつかわした。晩六つころ、敵勢が出来島から関屋へわたり、内野からの出役人足隊、山口からの出役足隊の一同が、関屋から平島まで逃げて来た。平島村で守備していた米沢、仙台藩の兵士は退却していった。